teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 邪馬台三国志 戦わずして勝つ〈英雄列伝〉(77)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


失礼致しました。ある方とは、ある方≠某氏です。

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 7月28日(金)10時03分49秒
  誤解をされても、致し方のない題名となっておりました。

ある方とは「某氏」の事ではありません。
某氏と安房守がお呼びしている方は、以下のかたです。


ご自分の宣言を、舌の根も乾かぬうちに、謝罪もなく、翻す無責任な方がいらっしゃいます。
http://6541.teacup.com/chikuzen/bbs/10195

http://6541.teacup.com/chikuzen/bbs/10143 ← こんなこと、普通は出来ませんよね!

混乱をされた方、誤解された方には、深くお詫び申し上げます。
 
 

「東鯷人」

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 7月27日(木)21時42分21秒
  石見介様

★「私が「倭人」と「東鯷人」について関心を持つのも、実は「邪馬臺国」や「狗奴国」が「倭人諸国に入っている事、更に『後漢書』東夷傳では、倭人条の末尾に東鯷人の存在が記載されている事から、邪馬臺国が東鯷人諸国には属さないと判断すべきであろう、と考えたからです。

そう考えると東シナ海を超えて会稽郡に献見した東鯷人諸国の分布域と見做される南九州には、邪馬臺国はまずないだろう、と推定したのです。医学的に言えば除外診断の根拠の一つになった、と言う事でしょうか。まあ、「心証」水準の話ではありますが。」

▲安房守と似たことをお考えになる方がいらっしゃるので、ホッとします。
 安房守と異なる部分はありますが、概要は同様な気が致します。

 邪馬台国を中心とした倭国連合、狗奴国を中心とした東鯷国連合と、見ています。
 後漢書に言う、邪馬台国の東の海の先にある狗奴国、南九州も天皇親征など苦労していますので東鯷国連合の一つであったと考えております。

 後漢書では邪馬台国と狗奴国は、離れておりますが、狗奴国の侵攻が続き、倭人伝の時代、邪馬台国の南迄迫って来ていたのかも知れません。
 地名の由来の確認は出来ませんでしたが、真田幸村の九度山は、狗奴山が変わったのかも知れぬと想像しています。

 愛知県豊橋市には高師小僧が豊富にあり、これを鉄に加工して武器として狗奴国は用いたため、青銅器と鉄器の戦いとなり、邪馬台国は苦戦を強いられたと・・・・

 静岡の久能山が、実は狗奴とかの話もあるようです。

想像を巡らせるのは、面白いものです。
 

追、ある方の文

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 7月27日(木)21時15分0秒
  今回の話題に関係があると考えての掲示でした。
機械翻訳して、読んで見ようとする方は少ないと思います

機械翻訳そのままですと理解し難いので、一部分で有りますが、安房守がどのように解釈をしたのか書いてみました。
解釈の間違いも多いと思われますが、何もしなければ、何も変わりませんので、どのようなのか、少しは理解の足しになるかもしれません。

任那についての見解も述べられていますが、(卓見であると感じました)今回は高句麗に関して・・・・

「それではこの辺で原点に戻って考えてみよう。
私達はなぜ「植民地史学」という幽霊から逃れることはできないのか。
?「植民地史学」:日本が植民地経営に役立つように、朝鮮半島の歴史的事実を、都合よく作ったり、解釈したとする歴史学の意と思われます。

「植民地史学」を信じている方には、申し訳ありませんが、すでに植民地史学という「実体」は存在しません。
もし植民地時代に、日本が研究した韓国史の全てが植民地史学とすれば、今の私たちにはまったく韓国史というものが存在することができなくなります。
今日の韓国史の研究に役に立つ基礎研究の多くは、すでに植民地時代に日本の研究者によって行われたものです。

政治的な事柄と、歴史的な事柄は切離すべきでしょう。

いくつかの点でさらに言えば、イドクイルのような人々が口の中にに唾液が溜まるように始終取り上げている「高句麗大帝国説」なども、結局は、植民地史学の一部分を取り出したものである。
?イドクイル:人名だと思われますが、無知な安房守は知りません。

20世紀初頭、日本が大陸侵略のために掲げたものは、満州地域の歴史を中国史から分離するものであり、この過程で現れたのが高句麗史研究である。
広開土王陵碑を発掘したのが日本の「軍人」であることが偶然の一致ではない。
?清朝の時代、広開土王陵碑の存在は中国人に知られていたような記憶が安房守にはあり、この部分は意がどこにあるのかを汲取り難い。

今日、私たちが当たり前のように受け入れている高句麗大帝国フレーム、あるいは高句麗を韓国史の一部として把握する系統認識は植民地時代、日本によって確立されたものである。
これは日本がなぜかと? 云うと、高句麗を韓国史の一部として引き寄せれば、満州を中国から分離することができ、さらには「一線同調論」を通じて満州に日本が進出することを合理化する基盤を形成することができるからである。」
?「一線同調論」の意味は不明、韓日同祖の意味か?

真理を突いていて、なかなか、面白いように思えます。
 

渤海人とは(ウィキペディア)

 投稿者:面目愛古  投稿日:2017年 7月27日(木)10時46分16秒
編集済
  黄文雄の主張

「満州族の先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、
「高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である。(中略)
渤海は、唐の高宗の代に高句麗が唐・新羅の連合軍に討滅された後、
唐の玄宗から渤海郡王に封ぜられた大祚栄氏がつくったツングース系の国であった」

高句麗と渤海を満州族の祖先としている

「ひるがえって、満州史の立場から見れば、
3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(?~668年)と、
その高句麗を再興した渤海(698~926年)である」

とし、高句麗と渤海を満州史としている


倉山満の主張


「韓国人は平気で、高句麗や渤海を朝鮮民族に分類し、日本人も言われるままに信じています。
しかし、高句麗も渤海も満州人です。より正確に言えば、
満州から現在の極東ロシアや北朝鮮までに広がって混住・混在・混血している人たちです。
少なくとも純粋Korea人でないことだけは確かです。

中韓の間で、高句麗は中国か朝鮮かという歴史論争がありますが、どちらでもないが正解です

今我々が住んでいるところに昔住んでいた人たちの領土は、我々のものだという思想を、ナチズムと言います。
現在の国境からさかのぼって過去の歴史を考えてはなりません。」

「唐は渤海(のちの満州人)との対立と新羅の謀反で日本どころではなくなります。
ついでに言うと、韓国人はこの渤海の歴史も韓民族の歴史に組み込んでいます。
渤海の侵略を防いだり、渤海の栄光を誇ったり、忙しいのが韓国人の歴史観です。」

(ウィキペディアより)

コメント:
渤海の首都は現在の中国黒龍江省寧安県にあった.
因みに、外山軍治礪波護は、
「高句麗」は満州東部から朝鮮半島北東部に移動した貊族の一種であり、
その貊族はツングースであるため「半島の南西部を領した百済、東南部を領した新羅と半島を三分しているが、
高句麗は他の二国のように朝鮮民族の国ではない.」と述べている.
そして、先住地はもっと西南方であり、その住地の関係から「蒙古系遊牧民の混血」が生じたとしている[wikiwand].
 

ある方の文

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 7月27日(木)02時30分32秒
  偶然見かけた・・・・
http://writting.co.kr/2015/10/%EC%8B%9D%EB%AF%BC%EC%82%AC%ED%95%99%EC%9D%80-%EB%88%84%EA%B0%80-%EB%A7%8C%EB%93%A4%EC%96%B4%EB%82%B4%EB%8A%94%EA%B0%80/?ckattempt=1

この内容をgoogleで機械翻訳https://translate.google.co.jp/?hl=jaしたものを読んでみました。

この文章を書いた方は、かなり客観的にお書きになっている様に感じられます。
機械翻訳の不備、ミスを含めての判断ですから、安房守が捉えた内容は、間違っているかも知れません。

一部真偽の確認が不足のように見え、疑問に思えるところが見受けられますが、これも、機械翻訳の問題であるのかもしれません。

安房守の解釈に間違いがあるかも知れませんが、真理を突いていて、なかなか、面白いように思えます。
 

(無題)

 投稿者:太国  投稿日:2017年 7月26日(水)18時07分14秒
  黄金の国ジパングたるわが神国日本での半島銅クラス民族介入の比率は
1/24つまり23金でOKだ。それを銅のほうが多量のような書きこみは、
わが神州には天帝が許容させない。朝廷に銅たる半島人の関わりが確かに
あるが、そこで金、銅の比率が逆転してるわけがない。

天は民族の上に民族を造り、民族の下に民族を造ったのだ。福沢諭吉の
言うことは間違いそのものだ。天は国家の上に国家を造り、国家の下に
国家を造った。したがって半島は日本の弟分であり、半島人が神国日本
を傀儡させることは出来っこはなく、天帝がそれを許さない。

そして半島人が主張しやすいのか、民族的に日本と半島とは同じ民族
だとかいう主張は、地球のある限り天帝が通用させない。銅クラス
たる半島人が日本と同じだと言い出しやすいのか、「銅」の字のツクリ
が「同」だからなおさらだが、銅国家の習癖なんだろう? わが神州は
黄金の国ジパングであり、銅は補助的近族(金属)なのである。

つまり神国日本は萬世一系の天皇を戴いて萬邦無比の国體を誇るのであり、
皇統は地球終末まで天壌無窮に継続し、この国の辞書にラスト・エンペラー
の項目は無い。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。

日本人の祖先が半島から来たのだという主張はデタラメであり、天孫民族は
はるか遠い天体の超高度の科学を誇る宇宙人らが、この地球を経営する目的
で、超巨大な宇宙船にのり、地球の九州のクジフル峰に着陸天降りしたのが
真相なのだ。断じて半島ではない。


https://www.youtube.com/watch?v=lD42cb6XJ0U

https://www.youtube.com/watch?v=34igjhgzYmM

http://絵

 

継承国家の論理

 投稿者:石見介  投稿日:2017年 7月26日(水)17時48分48秒
編集済
   日本のように、王統や国家が確立して、現代にまで、ずっと継承されている、という事例は世界でもまれ、というか他に類例を見ないのが現状です。当然、現代存在する諸国家は、それ以前に存在する国家の一部あるいは全部を「継承」し、その何かを否定しつつ、新しい理念や領域をつけ加えて、建国しています。その体制維持のためには、当然建国の正統性を必要とし、それを国民に教育し、それによって国家の一体性と国民のidentityを保っています。その国家や国民のidentityを否定しかねない事柄については、猛然と反撃します。実は半島両国家による種々のウリジナル説や従軍売春婦問題などへの過敏な反応は、日本の(我々から考えると正当な主張)が彼らのidentity(この場合は身許証明とか身分証明、あるいは自己認識が一番近い語感でしょう)を脅かすからです。自己の存立が人格レベルで脅かされる以上、彼らの反論が理非とは無関係な情動的なものにならざるを得ないのは、必然的でもあります。

 さて中華人民共和国或いはその前の中華民国は、満州族の征服国家で中国史上最大の版図を有した「清帝国」の継承国家です。当然彼らは清の領土全域の支配権があると主張する事になります。一方、朝鮮半島に成立した統一新羅以降、王氏高麗、李氏朝鮮⇒大韓帝国の後継国家は、南北に分裂した大韓民国と朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)の2分裂国家ですが、両者とも分裂は一時的であり、国家としては統一されるべきだとの共通認識を示しています。
 問題は朝鮮民族(韓民族)の「領域」です。統一新羅は、満州jから中北部朝鮮にかけての領域を保有する大国だった高句麗のごく一部を領域に収めました。しかしその高句麗残余の大部分が、靺鞨の大祚栄により、「渤海」国として、高句麗後継国家を唱えて建国されます。統一新羅の後、李氏朝鮮時代に旧渤海領の女真族地域に人口の増加した朝鮮人が移住を開始し、北界、東界といういわば日本で言えば、「蝦夷地」に相当する部分は朝鮮族地域化され、更に鴨緑江や図們江以北の満州へも移住を図りますが、満州族の後金⇒清の興起により、一旦は満州より締め出されますが、清末の清の衰退期に再度満州吉林省域の延辺~間島地域に進出します。このような歴史的経緯を踏まえて、半島両国家は、「統一新羅」の継承国家としてのみならず、三国時代の高句麗の継承国家でもあると主張し、統一新羅と渤海を、旧三国の後の「南北並立時代」だと捉えます。即ち北部の渤海と南部の統一新羅の両国家の並立時代だと、旧来の統一新羅時代を捉えることになります。このような朝鮮半島側の満州に対する主権~潜在主権主張に対し、「大清帝国」の継承国家としての、中国が打ち出したのが、「東北工程」であり、高句麗は満州・ツングース系の広域中国(旧清帝国領内)の地方政権だった、という位置づけです。

 第一次世界大戦後に欧州で俄かに正当化された「民族自決」主義によれば、満州・ツングース族の運命は彼らが自決すべきものであり、高句麗や渤海の歴史は、清同様、彼らの歴史的文脈で語られるべきであり、漢民族の中国や韓民族(朝鮮民族)の都合で決められるべきものではありませんが、中国本土を征服した満州族は、漢族化して、王姓の愛新覚羅氏も漢風の「金」氏を称するなど、実態が希薄化しているのが現状です。又清の継承国家としての中国は、チベットや蒙古、新疆省などに対する統治権の主張の為にも、民族自決は認められません。

 四面を海に囲まれ、海が自然国境となった歴史を持つ日本は、このような「歴史戦」に対する感覚が鈍いのですが、竹島や北方4島、沖縄などに対する韓国・北朝鮮、ロシア、中国の主張がいずれもそのような「継承国家」の論理に拠っていることを理解した上で、近代的な民族自決主義を基本としつつ、歴史的事実を挙げて、反証・反論すべきです。
 ロシアは実は、モンゴル帝国の分国の一つキプチャック汗国、即ち金帳汗国(ジュチ・ウルス)の「継承国家」であり、形式的に金帳汗家の後継者を一時皇帝とし、その1年後に旧ツアーリが譲位され、ロシアのツアーリであるとともに、旧ジュチ・ウルスの諸遊牧民諸領主から「白い大ハーン(汗)」として、宗主権を認められました。それがロシアの中央アジアやシベリア(シビル汗国~イビル・シビル)進出の「大義名分」となりました。
 一方、清も、フビライに発する「元」即ち大元ウルスの後継たる北元⇒チャハル部のリンダン汗を撃破し、そのゆずりを受けて、大元ウルスの継承国家としての資格を得ました。日本の北方領土に対する権益主張は、近代の歴史的経緯の他に、いわゆる「北の元寇」と称される、樺太・沿海州方面でのアイヌ民族(骨嵬、苦夷)と吉里迷(ギリヤーク族)の抗争と元の介入についても、認識する必要があるでしょう。

 昔アンデルセンの『即興詩人』を読んだ時に、アンデルセンと思しきデンマーク人がイタリア人との国名問答の際に、自国を「ダーン人とヴァンダル人の王国」と説明している情景があり、相手のイタリア人が「ヴァンダル人」(文化破壊の野蛮人というイメージがあった)という語彙にびっくりしているのが印象に残りました。その後ゲルマン人の民族大移動を、日本への民族移動の参考に斗調べた時に、スエーデン王が「スヴェーア人とゴート人の王」と称していた事も知り、国号と民族意識の関係が重要なものである事が強く意識されました。周知の通り、ゴート人は現在のスエーデンのヨータランド(ゴートランド)地方が起源地だとされています。

 私が「倭人」と「東鯷人」について関心を持つのも、実は「邪馬臺国」や「狗奴国」が「倭人諸国に入っている事、更に『後漢書』東夷傳では、倭人条の末尾に東鯷人の存在が記載されている事から、邪馬臺国が東鯷人諸国には属さないと判断すべきであろう、と考えたからです。そう考えると東シナ海を超えて会稽郡に献見した東鯷人諸国の分布域と見做される南九州には、邪馬臺国はまずないだろう、と推定したのです。医学的に言えば除外診断の根拠の一つになった、と言う事でしょうか。まあ、「心証」水準の話ではありますが。
 

藤原不比等は朝鮮渡来人

 投稿者:朝鮮渡来人  投稿日:2017年 7月26日(水)15時07分43秒
   百済人である 「藤原鎌足」の息子の「藤原不比等」は、 『日本書紀』を編集し「大宝律令制定<701年>」の中心メンバーであった。「不比等」は本妻の娘を「文武天皇」、後妻の娘を「聖武天皇の妃」とさせた。従って、「文武天皇」「聖武天皇」の「妃」はいずれも「朝鮮渡来系の人」であった。「二人の娘」を「二人の天皇」の「妃」とさせた「不比等」は、「藤原氏の基盤を築いた大人物」とされている。

  つまり、「天皇家と藤原家」とは一体となったのである。「梅原猛」は、「奈良の都の政治」は「不比等の独壇場」であり、「不比等の下」に集められたのは、智謀豊かな「法律・歴史に詳しい朝鮮人たち」であったと述べている。『日本書紀』が「不比等を編集責任者」とし、「太安万呂」など歴史に詳しい「朝鮮渡来人たち」によって書かれたということは、当時の「大和朝廷の上層職員」はすべて「朝鮮渡来人」であったと言える。
 

RE:中国の東北工程について

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 7月25日(火)21時06分37秒
編集済
  面目愛古様

お教え、有難うございます。

中國領内の渤海国の遺跡の発掘に関しては、面白い事に、北朝鮮ではなく、韓国に一部を委ねている様に見える所があります。
対象に、高句麗も含まれているかも知れませんが、判りません。

なぜ、そうしているのか判らないのですが、中國独自の発掘ですと中国に都合の良いように発掘と解釈がなされたとの非難を避けるための手段のようにも思えます。
その発掘が終わったのか、未だ進行中なのかは判りませんが、結果次第で渤海はどのような性格の国であったのかの判断に変化が出てくると思われます。

沿海州から、黒竜江、樺太対岸は、ロシアに攻め取られるまでは、清の領土でしたし、朝鮮全体も冊封体制下に在りましたので、当然のように主張すると思われます。
樺太は元の領土でもありました。

琉球も、清の冊封下にあり、薩摩藩との二重支配体制でしたが、明治期に清国領土であるとの主張がされたものの、力関係でやむなく日本に渡したと彼らは解釈しています。
民族や、言語などを含めて、日本人に近いとされていますが、明、清の冊封下にあったので、今も、本来は中国領土であるとの主張があります。

それにしても、安房守も、似たようなことを、考えておりました。

李氏朝鮮に繋がる新羅ですが・・・・

①梁の職貢図:斯羅國,本東夷辰韓之小國也。魏時曰新羅,宋時曰斯羅,其實一也。或屬韓或屬倭,國王不能自通使聘。
②後漢書辰韓伝:耆老自言秦之亡人,避苦役,適韓國,馬韓割東界地與之。其名『國為邦』,弓為弧,賊為寇,行酒為行觴,相呼為徒,有似秦語,故或名之為秦韓
③三国志魏書辰韓伝:辰韓在馬韓之東,其耆老傳世,自言古之亡人避秦役來適韓國,馬韓割其東界地與之。
④晋書辰韓伝:辰韓在馬韓之東,自言秦之亡人避役入韓,韓割東界以居之,立城柵,言語有類秦人,由是或謂之爲秦韓
⑤北史新羅伝:新羅者,其先本辰韓種也。地在高麗東南,居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適,馬韓割其東界居之,以秦人,故名之曰秦韓。其言語名物,有似中國人。

この時代のころまでは、伝説や、言語などから、秦の時代の中国人が先祖であると読めます。
②の『國為邦』は国とは呼ばず邦と呼んでいることからも、有似秦語からも、秦の時代の表現であると思われます。
①の或屬韓或屬倭,國王不能自通使聘は、倭国か、倭人か、判りませんが、朝鮮半島にそれなりの勢力があったことを示しているように思われます。
・・・全文原典の確認をしておりません。wikiの殆ど丸写しです。お詫びいたします。

現在の韓国語が中国語とは似ても似つかないことは事実であり、このころまでは、言語有類秦人でも判るように古中国語が使われていたのでしょうか。
日本にも、秦の習慣でしたか言語でしたかがあって、中国使が何故なのかを、確認できなかったとか、何かに書かれていた気がします。
朝鮮半島、新羅では、何時のころからか、言語が変わって行ったのでしょうね。

壬申の倭乱、甲午の戦、朝鮮戦争、冊封していた国が助けを求め、苦しい中それに応じたということからも、中國にも権利があると主張すると思われます。

有りがとうございました。

意味不明のため訂正 2017/07/27 02:00
訂正前:日本にも、秦の習慣でしたか言語でしたかが、確認できてなかったが、あったとか、何かに書かれていた気がします。
訂正後:日本にも、秦の習慣でしたか言語でしたかがあって、中国使が何故なのかを、確認できなかったとか、何かに書かれていた気がします。
 

中国の東北工程について

 投稿者:面目愛古  投稿日:2017年 7月25日(火)10時35分38秒
  1996年に中国社会科学院において中国東北部・旧満州における歴史研究を重点研究課題とすることが決定された。
この研究プロジェクトは東北工程と称され、2002年から研究が本格的に開始され、2003年頃に
高句麗や渤海は「古代中国にいた少数民族であるツングース系の夫余人の一部が興した政権」であり、
「高句麗が中国の一部であり自国の地方政権である」との中国見解が中国国外に知れ渡ることになった.(ウィキペディア)

皆さんはこの中国の見解についてどう思われますか.

コメント:
萁子朝鮮や衛氏朝鮮は、言わば中国朝鮮と同義語であり、私見では、中国の歴史の一部と思っている.
この古朝鮮の成り立ちを韓国人がどう反論するか、に大いなる関心がある.

その後、中国は、この地に、楽浪郡をはじめ4郡を設置して直轄していた歴史があり、
4郡時代も中国の歴史の一部と見做すことができる.

問題は、高句麗と高句麗滅亡後の渤海の歴史も中国の歴史の一部といえるであろうか、である.

これらの国が、主として靺鞨人の国家で有ると見做すことができるなら、さらに、その後、
遼や燕州という国家の成立を鑑みると、朝鮮の歴史として丸ごと飲み込むことには異論があろう.

何れにしても、極めてデリケートな問題ではある.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%B7%A5%E7%A8%8B

 

レンタル掲示板
/516