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  1. 邪馬台三国志 戦わずして勝つ〈英雄列伝〉(77)
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徐福伝説について

 投稿者:石見介  投稿日:2017年 5月28日(日)22時56分39秒
   徐仏が、中国z8当時の秦)を去って、大海を航海し得る船団を東方に向けたのは、史実であり、その航海方向が、黄海や東海=鯷海=東シナ海方面であり、先ず渤海方面ではなかったことは、伝説ではなく「史実」として扱うべき事象です。その点には異論がありませんが、かといって、徐福が日本列島に渡った、とは即断できない、というのが、私の考えです。
 ご承知の通り、徐福は方士であり、当然三神山を目指したか、或いは不老不死の仙薬なり、その真否な術なりを求めたのかもしれませんが、それは単なる口実に過ぎず、単に秦の圧政を逃れたいための海外移住だったのかは、即断できないところです。私はむしろ彼の周到な計画からは、後者の目的が主だったのではないか?と考えます。この辺りの「解釈」はそれこそ、人それぞれの感性に基づく解釈=主観の世界であり、正否の判断を下し難い所以でもあります。

 私は前にも書きましたが、『三国史記』『三国遺事』にある新羅の国名から、徐福、あるいはその子孫集団は、辰韓領域に到達した、と考えています。それは先述しましたが、「新羅」の国名に明らかに三種の言語「日本語」「中国語(漢語)」及び、「韓国朝鮮語」が存在し、日本語系統が「しらき(しらぎ:新羅)」「しろ」(斯盧)という「白」色と関連した語彙である事(「木き/ぎは「城塞」「都城」の意味だと考えて良いでしょう。上代日本語では「き」は、木・城の語義です)、漢語系の「鶏林」あるいは「始林」で、これは明白に新羅三王姓で実在で且つ間違いなく本来の新羅王家だった慶州金氏(最近の王家のハプログループでは扶余系のY-C2c系統ですが、高句麗や百済の王家とは異なるとされています。馬韓出自である事は中国史書からも判明します)の起源説話とも関連しています。最後の韓国朝鮮語での国号が、「徐伐「徐那伐」「徐羅伐」です。これは日本語や中国語では解釈できない、従って固有の韓国朝鮮語での語彙であり、支配層の扶余系や或いは先住の半島南部の倭種の言語ではありせん。
 「徐伐」は、現在の「ソウル」即ち「京城」の語義で、日本語の「添へ」と関連付ける有力説もありますが、」一方「徐那伐」「徐羅伐」という他の語形からは、明白に「徐」「の」(那・羅)「伐」という語構成をしていることが分かります。「伐」が「フル」「フレ」(壱岐などに「触」地名がある事や「ふる」などが上代日本語でも「村」の語義であったことを想起してください。「ハラ」原とも或は母音交替形かもしれません。
 「徐伐」「徐那伐」「徐羅伐」、或いは「蘇伐」という語も『三国史記』では出て来ます(蘇伐公が新羅建国始祖の赫居世の入った太卵を発見します)が、これらの国語が、何を意味するのか?「徐」の「都邑」「都城」「国邑」を意味すると、解釈するのが最も自然だと私は解釈しています。徐福集団或はその子孫、或るいは少なくと彼と同じく、春秋時代の滅亡した「徐国」(王号を称した)の子孫で徐氏を称した者の国邑だった、と解釈すべきだと思いまう。徐福集団は、先ず日本にではなく、朝鮮半島に到達し、馬韓の東界の地に、建国したのです。徐の偃王は、卵生でした。日本神話には卵生説話が欠如していますが、朝鮮半島にはほとんどすべての諸国の始祖が卵生説話と関連しています。この点も私が、徐福東渡の地がまず朝鮮半島だった、と考える根拠になっています。
 
 

いわゆる偽書や古史古伝の類の扱いについて

 投稿者:石見介  投稿日:2017年 5月28日(日)21時53分29秒
   これについては、蔚山人さんのご意見に全く同感ですが、実際は、私のような素人には、全て偽書として対処するほかないのではないか?と考えています。
勿論その成立年代によっては、無視出来ないものもあります。平安時代初期には成立がほぼ確定している『先代旧事本紀』等ごく一部がそれにあたるでしょう。
後は時代が下がりますが、『武功夜話』などもその範疇に入るかもしれませんが、こちらの方は怪しさがより大きいと感じています。
実は二冊とも購入し、全部とは言いませんが、そこそこ読んでいますが、古代史像や中世史像の構築には、一切使用していません。
『先代旧事本紀』については、大野七三氏訓注本の他に、安本美典氏の関連著書も購入し読破しましたが、正直物部王朝説と言うか、ニギハヤヒ王朝説と言うか
その主張には、鳥越健三郎氏の出雲王朝説や谷川健一氏の物部王朝説も含めて、可能性の極めて低い仮説(私の分類の超トンデモ説)だと判定しています。

 私の考えには、おそらく蔚山人さんや或いは安本美典氏ら、かなり多数の人と子とカル神代と人代を峻別する独自の考え、神代は基本的に神話の世界であり、
人代こそが、歴史として考察すべきだという「解釈」が入っているためかもしれませんので、皆様とは必ずしも一致しないと思いますし、神代と人代を峻別する解釈こそ、
記紀の編纂者・著者達の思惑に乗ぜられている、と批判もされるだろうと考えていますが、私は尺に、記紀の編纂者・著者が、神代と人代を峻別している事こそが、
神話と歴史として扱うべき事象の「線引き」をしているというか、示して、後代の我々に、教示してくれているのだ、と感じています。
 勿論、歴史の神話化・伝承化、神話・伝承の歴史化は、双方ともあり得たとは考えていますが、しかし、記紀の編著者である帰化人や渡来系氏族出自の史官たちも、
支配者の命や或いは有力な豪族たちの圧力には背けずとも、それなりの中国流史書記載の伝統にも従いつつ、可能な限り、史実を残そうと努力したとも考えています。
 

RE:古史古伝について

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 5月26日(金)13時26分22秒
  蔚山人様

仰るとおりです。
素人には、一般に、区別は付きません。

申し上げたかったことは、安易に信じるなと言う事です。

内容は自分で可能な限り批判的に、懐疑的に見るべきです。
もう、一つは、偽書、偽物と決めつける意見に対しても、批判的、懐疑的に考えるべきだと思います。


昔、岩に刻まれていた古碑があったそうです。・・・昔の話ですので、記憶は定かでは有りません。
蔚山人様の仰る「サンカ」だったのかも知れません。
某大新聞社が、取材に行って、そこの記者が、偽物と断定し、地元の人の無知を馬鹿にしたのでしょうか。
地元の人はその岩を砕いてしまったそうです。

後日、そのことを聞いたのか、別の記者が聞き出した限りでは、断定できるレベルでは無かったようですが、遅かりし由良助でした。

岩宿遺跡も、専門家は無視していました。
某ゴッドハンドは、専門家からもてはやされていました。

シュリーマンも馬鹿にされていました。
ノアの箱舟の伝説自体は疑問ですが、非常な広域にわたる大洪水はあったと見るべきと、安房守は考えています。

三国志を始めとして、多くの史書は刊本です。
多数の読者が見込まれるので、刊本とします。
内容のチェックも入ります。

個人の門外不出の書などは、書写しかありません。
書写する時代の紙が使われます。
書写する人の知識で、読んで、書きます。
考古学的な意識は全く働かないと思います。
百年前の表現は、書写した時の表現に変わるかもしれません。
百年前の地名は、書写した時の地名に変わるかもしれません。
百年前の地形を、どう示すでしょうか?
百年前の人名は、書にあった通り書くでしょうか、自分が聞いていた名前を記すでしょうか?
内容のチェックは、無いでしょう。

これが、ハッピーな場合でも、千年経てば、3回は行われるでしょう。
虫喰い、雨などの汚れ、鼠など、通常は傷んでいるものの書写です。
欠けている所、読み切れぬ所をどうするか、書写する人が判断するしか有りません。

考古学的見地だけで言えば、どれもこれも、本物と判断できる要素は殆ど有りません。
これは、偽書でしょうか? 判断に苦しむ所です。

内容から、分別して判断するしかありません。
全てを信じる事は出来ませんが、一部は正しいのでしょう。
決定打は、難しいと思います。
他の同時代を記しているとされるものと比較するだけでしょう。

現在の知識だけで判断する危険性は、永遠に続くでしょう。
棄てるのは簡単ですが、二度と得る事が出来ないものも有ることを、忘れてはならないと考えます。

キープ(結縄)による情報交換は、戦争直後まで、千葉県と北海道であったか?東北であったか?、使われていたと読んだことがあります。
地域の違いを超えて、使われていたかどうかは記憶にありません。

長くなりましたが、これが、安房守の考えていることです。

勝手を申しましたが、ご寛恕をお願い致します。

 

古代史の真贋は難しい

 投稿者:古代狂  投稿日:2017年 5月26日(金)12時39分55秒
  滑安房守様、ありがとうございました。
温かいけれど客観的で冷静なご意見、感謝します。

尉山人様、お名前の字が出ませんので失礼いたします。古書を読むときの、
心がけと思います。教えていただき誠に有難うございました。

 

RE:古代史の真贋は難しい

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 5月26日(金)11時42分43秒
  古代狂様
有難うございます。

東日流外三郡誌は完本ではなく紹介の書を、持っております。
偽書の匂いも強いのですが、詐欺だとしても、儲からない詐欺の愉快犯でしょうか。

どう考えても、この部分は近代の創作要素が入っていると思える部分もあります。
書写した部分は有ったとしても少ない様な気がします。

記憶に残っていたところを思い出しながら書いたのかも知れません。
それで言葉が現代ぽくなって居るのかも知れません。

何も無い所から作り上げたのでしたら、ものすごい、想像力だと思います。
本物とは思い難いのですが、何か、基となるものが、あったのかもしれないと思います。

好く批判を受けるところに、近代になって使われだした語句が含まれているとあります。
江戸時代には使われていなかったとされている語句です。

その語句が江戸時代一般には使われていたかどうかは、安房守には調べる手段が有りません。
しかし、その語句を、中国のサイトで探すと、江戸時代に、日本でも、知られていても不思議では無いと思える語句が多くありました。

「冥王星]や「民活」と言う語句などは典型かも知れません。・・冥王はありますが、冥王星はありません。 民活はあります。
最近は東日流外三郡誌を、あまり見る事はしません。

安房守の、今残っている印象ですので、記憶違いがございましたら、お許し下さい。

以前の発言で、竹内文書と致しましたが、正しくは、竹内文献でした。
訂正ならびに、お詫び申し上げます。
 

古史古伝について

 投稿者:蔚山人  投稿日:2017年 5月26日(金)00時47分27秒
編集済
  古史古伝についてはいろいろな種類のものがあり、その真贋を見抜くのは難しいものがあると思います。そのため皆様のように、何らかの真実がありそうだから残しておけば良いのではと意見が大勢を占めることになります。何が真実で何が作為なのかの判断は研究家でも悩むところですが、野放しにすることも問題です。そこで文書・文献としての保護はするが、内容は排除するし信用はするなとすべきです。その個々の真偽の判断は読んだ人の感想に任せるとして、私のようなド素人が、どうしたら騙されないで済むのかを考えてみました。

1. 日本の縄文時代は、縄文尺のようにある程度の基準というものを持っていましたが、出来事を記録するのは結縄のようなあやふやなものでしたので、長年月の記録を行うことは不可能です。上代にウガヤ朝があり、そのずっと前に何がありというような超古代史というものは存在しませんし、その記録などある訳もありません。人類の進歩の有り様からも、これを延々と述べている古史古伝は排除すべきです。

2. 古代の出来事を天皇の年代に合わせて記録しているものは、明らかな後代の作ですので排除すべきです。その時点で作為が入っています。また資料の出所がハッキリしないものも排除すべきでしょう。

3. 上代の仮名の使い方(8母音でないもの)、文字の使い方(神代文字の使用)、用語等々で後代の影響が認められる場合は排除すべきです。明治期に作られたものは、うっかり英語が使われていたりします。但し書き写した際、書写者に意識がなくうっかりその時代に合わせて訂正したと思われるものは、その時の状況も加味すべきでしょう。

4. 風俗、文化、習慣等で後代の影響があると思われるものは、排除すべきです。一見古くからあるように見える時もありますが、多くのものは後代に作られたものが多く含まれています。

5. 明らかに記事が一方のみを味方する傾向がある場合は、精査すべきです。またその目的がどこにあるかにより、その真偽が見分けられる場合があります。特に宗教が絡む場合は、狂信的な部分も混じることがあり注意が必要です。

その反面
1.他の古書と比較して補助的な知識を与えてくれるものは、排除せずそれを精査し、矛盾点がないかどうかを探すべきです。補助的な知識を与えてくれているものが、国の記紀あるいは風土記等と同じ原典(共通の資料)あるいは同等の原典からの引用と思われる場合は、それを精査して判断すべきです。排除すべきではありません。特に平安期かそれ以前の作と思われるものは、同じく古典にはいる訳ですから、非常な注意が必要でしょう。

2.地域に根差した伝承・伝説には、地元民が大事に育ててきた真実が含まれている可能性が大きく、精査して用いることも出来ると思います。

私の経験ですが
以前山岳地帯に住む被差別民であるサンカを勉強したことがあります。恐らく昭和20年代には一般社会にどうかしたと思われ、今は痕跡もありません。彼達も、何故か古史古伝には紹介されませんが、ちゃんとした古代からの歴史を有しています。またそれを独自の文字で記録していました。そこでこれは何かあるのではと思いましたが、私の感想では記紀を基にして考案され作られた歴史で、文字も他の神代文字を参考にしているふしが感じられました。
 

古代史の真贋は難しい

 投稿者:古代狂  投稿日:2017年 5月25日(木)15時31分22秒
  すみません。
つがる、でいいんですが、ちゃんと書かないと…
 「東日流外三郡史」でしたか。
 

古代史の真贋はむずかしい?

 投稿者:古代狂  投稿日:2017年 5月25日(木)15時25分51秒
  滑安房守さま。
よく言った、と拍手喝采です。
いや、偽書、といわれる古書のことですが。

宮下文書もあまり詳しく知らぬまま、大いに興味を持っています。
もう一つ、偽書と言われて久しい、ツガル外三郡史についても、偽書、と切って捨てるのは
あまりに惜しいと考えています。だが私にはあまりに学識がない。
どうぞあなたの知見で、一度紐解いては頂けないだろうか。
 

古代史に関して真偽を断定することは難しい?

 投稿者:面目愛古  投稿日:2017年 5月24日(水)16時13分28秒
編集済
  安房守 様

★宮下文書は、偽書、小説かも知れません。
仮に、そうであっても、何らかの、事実や伝承がその中に遺されているのかも知れません。

私も全く同感です.

特に、文字の無かった時代における「古来の伝承」には、必ず真実が隠されていると確信しています.

古代史に関して、真偽を断定することは不可能であるとさえ思っています.

記紀にある歴史上の日付は、恐らく誰も信用していないでしょうが、

記紀に書かれている歴史上の出来事については、一応信用するに足る内容として受け止めるでしょう.

漢籍や遺跡の発見などからの情報で時代考証も出来るでしょう.

宮下文書(富士古文書)は「偽書」であるとの通説があっても

明治維新まで何故に封印状態であったのかを研究してから、結論を出しても遅くは無いと思っています.

大正10年になって、現代語訳「神皇紀」が出版されました.

全くの偽書であるなら、そして誰もが偽書であると本当に信じているのであれば、

封印にする必要もなかったのではないでしょうか.

富士の大噴火(800年、864年)の内容も、富士の噴火があったことは架空ではなく事実であり、

偽書として無視することは出来ないし、尾鰭を付けて誇張されている方が

ノンフィクション物語としてより楽しむことができたでしょうに.

コメント:

宮下文書は「偽書」との説もあるが、私は上記のように考えています.

 

RE:徐福(徐芾)の定住地??

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 5月24日(水)12時09分3秒
  面目愛古様

何の書であっても、ご自分の目で疑いながら読めば良いと思います。

記紀ですら、神代辺りを、そのまま真実とは読みません。
神武天皇の年代をそのまま信じる人は多くは無いと思います。

だからと言って、全面否定をする人も、滅多にいません。

宮下文書は、偽書、小説かも知れません。
仮に、そうであっても、何らかの、事実や伝承がその中に遺されているのかも知れません。

安房守は、竹内文書を非常に怪しいと思いながらも、捨てていません。
もともとの竹内文書には真実(伝承)を含んでいたと考えています。
文書の公表に際して、その信憑性と、価値を高めるためか、その強調のためか、もっともらしく、オリジナルに近代の知見を入れてしまったために、その真実の姿を失わせることとなったものと考えています。


海東諸国紀の日本国紀、天皇代序、天神七代、地神五代にも、「孝安天皇孝昭第二子元年己丑在位百二年寿百三十七。孝霊天皇孝安太子元年辛未七十二年壬午泰始皇遣徐福入海求仙福遂至紀伊州居焉在位七十六年寿百十五。孝元天皇孝霊太子元年丁亥在位五十七年寿百十七」と記されています。
宮下文書の孝霊天皇の部分は、一般に知られていたと思われるこの部分を拠り所にして作った文かも知れませんが、海東諸国紀に記される何かが存在していたのでしょう。

安房守は、文章、文字、材質がその作成された筈の年代とは異なることを理由に、偽物、紛い物、詐欺と決めつける事が多いことに疑問を持って居ます。

先祖代々の書、門外不出の書、年月に勝てずに劣化、虫喰いだらけになっていたら、どうするでしょうか。
出来れば後世にも伝えたいと思うのが人情だと思います。

今は、残しておく沢山の方法が有りますが、ほんの百年前は、一般には書写しかなかったと思います。
材質は変わります。文字もその時代の一般的文字に変わります。文章や仮名遣いも、地名も、趣旨は残っても、変わっていき、誤写の生ずる可能性も多いでしょう。
少し格好良く、先祖を飾り立てることも有ったと思います。

このような物を一般に評価したら、偽物と判断されます。
さて、本当に偽書でしょうか、安房守はこうして消え去って行った書も多数あるものと考えています。
 

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