teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 邪馬台三国志 戦わずして勝つ〈英雄列伝〉(77)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


RE:続)「弥生人=渡来人」説の大嘘

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 6月28日(水)22時16分14秒
  面目愛古様

文面だけから捉えますと、考え方次第で、正しいとの解釈も可能と考えます。

★「日本最古の水田跡がある佐賀県の「菜畑遺蹟は渡来人が最初に入植したムラではありえない。何しろ、縄文人の人たちのムラである証拠は山ほどあるが、シナ大陸から渡来人がやって来たという証拠は皆無なのだ。」

▲少し正確に言うと、そこに渡来人が多く混じっていてその関与はあったと言えるだけの証拠は見出されていない。
 関与がなかったと言い切れるだけの証拠も見いだされていない。かと思われます。

 列島内だけで、比較的、短期間に大きな変革は難しいものの、実際にはそれが起きたであろうことを考えますと、その文化(技術)を持っていた人々が、ある人数以上で列島に渡って来たと考えることの方が合理的であると思います。

 どのような条件なら達成可能であったでしょうか?
 比較的短期間に稲作が広がったことから、ある程度以上の人数が列島で稲作の指導的立場についた。
 少数での移行もあり得ますが、短期間で少数者による移行は非常に難しく、強行すれば、抵抗など武力衝突も発生したはずですが、衝突の痕跡も少なく、比較的平和利的に移行した。
 他民族による強行は、絶対的権力者の許可なしでの平和的移行は、不可能に近い。
 「シナ大陸から渡来人がやって来たという証拠は皆無」(見出されていない)で残されている証拠の多くが縄文文化が殆どである。

 次のような考えは如何がでしょうか。

 朝鮮半島、渤海、山東半島周辺(安房守の独自見解)に居住し稲作を行っていた倭族が、列島に渡来して,稲作を伝えた。
 そう考えると一概に、「弥生人=渡来人」を否定できないような気もします。
 つまり、大陸の倭族=渡来人⇒弥生人の切っ掛け。
 縄文語(原倭語)を語ることが出来た人々が、同じ縄文語を祖語として語ることのできる地域に来れば、比較的抵抗なく受け入れられることが可能であった気はします。

 稲作文化を伝えたものの、元が同じ文化なので、縄文文化は大きくは変わらなかった。
 食料事情が大きく変わり、骨格などの変化が短期間に進んだ。(弥生人化)
 先行の倭族に加え、さらなる渡来が続き、稲作への移行はある時期から一気に進み、稲作の定着とともに、弥生式と呼ばれる文化形態に変わっていった。


★「北九州に成立した水田稲作文化は急激に東へ波及し(中略)。その波及には、多くの大陸伝来の要素が欠落しており、まさに縄文文化の中に稲作だけが持ち込まれた状態を示している。また、この地域では土偶・石棒のような縄文文化独特の精神的道具を保持しているのである。従って、この稲作の波及には渡来人の関与はなかったと考えるのが妥当であろう」

▲繰り返しとなりますが、なにを以って渡来人とするかの問題のような気がします。
 大陸の倭族が稲作を持ち込んだのであれば、非倭族の証拠は少なく見出しようがありません。
 渡来人=非倭族との捉え方でしょうか?

▲渡来人の多くで倭族の血が濃かったと仮定すれば、「弥生人=渡来人」は成立すると思います。

安房守は、強引ですかね・・・・
 
 

なんとなく・・・何となく

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 6月28日(水)22時10分36秒
  ★『「弥生人=渡来人」 説の大嘘 :面目愛古  投稿者:面目愛古氏は何者  投稿日:2017年 6月27日(火)18時23分43秒
   「弥生人=渡来人」説の大嘘と述べている面目愛古氏の大嘘』

▲はて?
 何となく、連想が走ります。

★「日本の先達を虚仮にする 「滑安房守」  投稿者:照参考  投稿日:2017年 4月26日(水)15時22分20秒
 照参考が『おもしろい古代史の掲示板』の投稿をやめるにあたり、これまでの投稿が基づいて書かれた方々の氏名をあげておく。「照参考」の投稿は氏独自の発想や創造に元ずくものは一つとしてなく、すべて下記にあげられた方々の見解を基にして欠かれたものである。これらの人々の説について、ことごとく否定された何人かの投稿者、殊に、「滑安房守氏」は『おもしろい古代史の掲示板』の投稿者の中心人物で、彼はいかにも自分の見解の賛同者は多いかのような発言が目立つが、数えて見れば、『おもしろい古代史の掲示板』の投稿者の中で『おもしろい古代史の掲示板』を面白くしていると自負している投稿者は10人もいないのである。多いと言うことになれば、100人いや1000人ものが投稿しそれに賛同するのでなければ話にもならない。」

▲と、大見えを切って、撤退を表明された方がいらっしゃいました。

何となく、書き様が、
「日本の先達を虚仮にする 「滑安房守」・・・とお書きになった文と、
「弥生人=渡来人」説の大嘘と述べている面目愛古氏の大嘘・・・の文がソックリと見えてしまいます。

自ら大見えを切って撤退を表明されたのですから、いくらなんでも、そんな恥ずかしい真似をなさる事は、一人前の人間としてあり得ないと思いつつも、つい余計なことを思い浮かべてしまいました。

自ら、不特定多数の方に対して、宣言したのですから、数か月のうちに、自らの言を翻して、投稿するなんて、恥さらしなことは、恥を知る普通の人なら出来ません。
安房守の勘違いですよね。・・・そう、勘違いに間違いないでしょう。

え、ハンドルが「面目愛古氏は何者」で違っていますか?・・・・確かに違っていますが、ハンドルは信用できませんでしたからね。
過去の実績がそれを語っています。

表現の癖というものは、隠したつもりでも、出てきてしまうようです。
困ったものです。

 

(続) 「弥生人=渡来人」説の大嘘

 投稿者:面目愛古  投稿日:2017年 6月28日(水)07時14分28秒
  続<リツィート>(抜粋)

その③ 考古学遺蹟から見る「弥生人=渡来人」説の嘘


日本最古の水田跡がある佐賀県の「菜畑遺蹟は渡来人が最初に入植したムラではありえない。何しろ、縄文人の人たちのムラである証拠は山ほどあるが、シナ大陸から渡来人がやって来たという証拠は皆無なのだ。証拠に基づいて語れば話は逆で、縄文時代から九州の人たちは朝鮮半島南部に進出し、日本との間を行き来していた」

「北九州に成立した水田稲作文化は急激に東へ波及し(中略)。その波及には、多くの大陸伝来の要素が欠落しており、まさに縄文文化の中に稲作だけが持ち込まれた状態を示している。また、この地域では土偶・石棒のような縄文文化独特の精神的道具を保持しているのである。従って、この稲作の波及には渡来人の関与はなかったと考えるのが妥当であろう」

「北部九州から漢代の大陸系集落や土器・生活用具が出土したと言う話など聞いたことがない。つまり、大陸から渡来人がやって来たと言うのは単なる推測であり、物的証拠は相変わらずゼロである」

考古学的資料から導き出される結論は・・・渡来者の数は1年に2~3家族ほどパラパラと来た程度であり、縄文人=弥生人の社会の片隅で細々と暮らし、やがては文化的にも人種的にも倭人に吸収されていったという考古学的事実である。

縄文時代に、地理的・人種的・文化的・言語的に倭人としてのアイデンティティーを確立し、大陸から独立した文化を形成した倭人の歴史に、渡来人の関与は殆どなかったと言える。


その④ 遺伝子から見た「弥生人=渡来人」の嘘。

ただ、倭人(縄文・弥生人)が朝鮮半島南部に進出していた根拠をDNAデータから記述しておきます。逆ではなかったのです。(朝鮮半島から来た渡来人より、倭人の方がはるかに多く半島に進出していた)

「これまで、朝鮮半島と縄文人との関係について考えられることは殆どありませんでした。それは朝鮮半島からは縄文時代に相当する時期の人骨が殆ど出土していないためで、人類学者はその関係を考える資料を持たなかったのです。
その結果、これまでの人類学の理論は、弥生時代になって急に朝鮮半島との間に交流が生まれたような印象を与えるものでした。しかし、DNAの相互検索の結果を見る限り、朝鮮半島にも古い時代から縄文人と同じDNA(大陸には存在しない)を持つ人が住んでいたと考えるのが自然です。

考古学的な証拠からも、縄文時代の朝鮮半島と日本の間の交流が示されています。縄文時代、朝鮮半島の南部には日本の縄文人と同じ姿形をし、同じDNAを持つ人々が住んでいたのではないでしょうか」

つまり・・・まだ朝鮮半島に殆ど人が住んでいない縄文時代に、北部九州から縄文人は海を渡り、朝鮮南部に進出し、稲作の伝播や縄文弥生土器などの半島出土品から見られるように、半島南部に倭人文化をもたらしたことは否定しようがありません。
 

よく判りませんが・・・

 投稿者:滑安房守  投稿日:2017年 6月27日(火)20時17分14秒
  面目愛古様

<リツィート>(抜粋)の原文が探しきれませんので、掲示された内容から・・・・

★「単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。」

▲病理学の話は知識が0に等しいので判りませんが、この部分は大賛成です。

 ツンベルグ日本紀行より抜粋(1776年4月、商館長に従って江戸参府)に
「第十章
 日本人の外観、顔貌、日本人の性格

 體格
 日本人は一體に體格がいい。身軽で、均整がとれ、丈夫で、筋肉が逞しい。然し欧州北部の人と力闘することは出来ないだろう。男子は一般に普通の背丈で、過度ならざる程度に肥えてゐる。かなり過度に肥満してゐる人も澤山見た。」

▲絶対値は示していませんが、医師であるツンベルグが、江戸時代の一時期にしても、「男子は一般に普通の背丈で」と記しています。
 日本人同士の比較であるなら、不要の文のように思え、欧羅巴人と比較しての意味であると思われます。

▲江戸末期には日本人の身長は低いと言われていました。
 欧羅巴人の平均身長が伸びたのか、日本人が縮んだのでしょう。

 ツンベルグから100年で評価が変わっていることになります。
 日本人の人種的変化は鎖国状態から考えにくく、栄養状況をはじめとした諸環境の影響で、この評価の違いが現れたとしか考え難いものがあります。

戦争直後と、現代に育った者の体格、顎の大きさなどに大きな違いがあると言われています。
戦後、進駐軍が来て、日本人が、混血などで、欧羅巴系に変わっていったので、体格が良くなったり、違いが出たと、主張する人は少ないと思います。
多くは食糧事情の変化によるものと思えます。

そういった事から、渡来人などが日本に齎した、農業、文化、食品などが、体格などに大きな影響を与えたための可能性が高いと考えます。
切っ掛け自体は、渡来系の文化による食糧事情の変化であった可能性が最も高いと考えられるものの。単に渡来人に替わっていったために、体格などの変化が大きかったと考えるなら、やや、苦しいと思われます。

當時の骨格などの、多数の発見が望まれ、それからの判断が待たれます。


歯形自体の対象としているポイントがはっきりしませんので、何とも言えませんが、
「縄文人はスンダランドから来たか-歯の形質から探る」http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/013_1ha_karamita_jyoumonnjinn.htmlを見ると・・・・
歯形に関して、人種の影響は大きかったと思われますが、どうも、決定打に欠ける気がし、諸手を挙げて賛成とは言い切っていない気がします。

この辺りは石見介様の得意とされる所と思われます。



 

「弥生人=渡来人」 説の大嘘 :面目愛古

 投稿者:面目愛古氏は何者  投稿日:2017年 6月27日(火)18時23分43秒
  「弥生人=渡来人」説の大嘘と述べている面目愛古氏の大嘘  

「弥生人=渡来人」説の大嘘

 投稿者:面目愛古  投稿日:2017年 6月27日(火)14時14分57秒
  <リツィート>(抜粋)

その① 「弥生人=渡来人」説の否定(病理学の見地から検証)

「成人T細胞白血病・ATLの患者やキャリア(東アジアでは日本人しかいない。中国・韓国には如何に調査してもまったく発見できない)の分布が九州や沖縄で圧倒的に集中していることから、ATLゼロの渡来人が北部九州に上陸し、稲作を始め、縄文人と混血し、人口が増加したのなら、その地のキャリアが真っ先に最小となるはずなのに逆に多くなっていると」言う点。

①ATLウイルスを持たない多くの渡来人が大陸や半島から渡来したのなら、わが国で最初に水田稲作が行われた北部九州や土井ヶ浜付近からゼロになるはずである。
②だが、菜畑遺蹟のある佐賀、板付遺蹟のある福岡、土井ヶ浜のある山口県西部のあたりにキャリアが多く、対馬、隠岐の島、五島列島、長崎などはさらに高い感染率になっている。ついで多いのが近畿となっている。
③縄文人と渡来人との混血がキャリア減少の原因なら、渡来人が最初に上陸し、より早くから混血が進んだであろう、九州や近畿などの方が、関東や中部よりキャリアが少なくなって当然である。
④従って北部九州へとやって来た渡来人は少数だったし、子孫も少なかったと断ぜざるを得ない


その② 縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。

骨格や歯型の比較から、「弥生人=渡来人」とする説には、重大なデータの欠落がある。それは、「縄文時代の終わりから弥生時代の開始時期にかけての、最も肝要な移行期の人骨がほとんど発掘されておらず、欠落していることである」

これを分かり安く例えれば・・・江戸時代から現在の日本人へと続く、「移行期の人骨データ」が欠落しているにもかかわらず、単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。

http://hensuiryuu-taijyutu.seesaa.net/article/157402768.html

 

弥生人の故郷は…

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2017年 6月25日(日)18時27分31秒
編集済
  >弥生人は、中国の春秋戦国時代にはまったく関係ない朝鮮北部から日本へ来た。

記憶喪失した男さん、私は言語から同じような考えを持っています。

※「扶餘」も「高句麗」も「百済」も建国に「倭人」が関与している、と観ています。

・古朝鮮の多民族構成の中の主要種族が「倭人」だった、と。

・「扶餘」=「富餘」の意の「倭語」を疑っています。九州弁に「ふ」=「幸運・ツキ」の意があります。

・「高句麗」=「高(氏)グル(仲間)」の意の「倭語」か、と。

・「百済」=「百済」が何故「クダラ」か。本来は“??”(baeg-jje)である。冠詞「大・百済」の意の「とっても大きな…」の意“?-??”(keo-daran-)が一人歩きした物であろう、としていたが…。最近閃いて「高(氏)“??”(ttal-li)=付く、属する」羅(國)」で、「高“?-”(ttal-)羅」=「くォタ?ら」で「くだら」か、と。百済も「朱蒙」の子孫が建国=倭人の建国か。「狗奴國」=「高(氏)ン國」へも繋がりを予感する。

∴これらの主役の「倭人」が勢力争いから南下し続け、伽耶諸国、「狗邪韓國」を経て列島に至った、と観ます。
*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
 

弥生人の故郷は呉ではない

 投稿者:記憶喪失した男  投稿日:2017年 6月23日(金)19時35分29秒
  遺伝解析の結果、弥生人は、中国の呉からではなく、朝鮮半島の北部から来たことが判明しました。

弥生人が渡来したとすれば、2800年前頃、朝鮮北部から、中国江南の稲をもってやってきたということになる。

土師器、鉄製農具、養蚕は、卑弥呼の朝貢からやってきた秦氏たちが三世紀に伝えて、古墳時代が始まった。

弥生人は、中国の春秋戦国時代にはまったく関係ない朝鮮北部から日本へ来た。

O1b2の流入と稲の流入に因果関係はないというのが結論だろう。
あれは、みかんみたいに誰かが中国奥地へ取りに行ったんだろう?
縄文人を中心に考えれば、朝鮮半島から弥生人がやってきたので、
中国大陸の存在を知ったということがあるかもしれない。
新大陸発見だね。そして、稲を取りに行ったと。
 

弥生人の故郷

 投稿者:記憶喪失した男  投稿日:2017年 6月23日(金)18時07分12秒
  弥生人が渡来したとすれば、2800年前頃、朝鮮北部から、中国江南の稲をもってやってきたということになる。

土師器、鉄製農具、養蚕は、卑弥呼の朝貢でやってきた秦氏たちが三世紀に伝えて、古墳時代が始まった。
 

弥生人の故郷

 投稿者:記憶喪失した男  投稿日:2017年 6月23日(金)17時26分2秒
  遺伝解析の結果、弥生人は、中国の呉からではなく、朝鮮半島の北部から来たことが判明しました。  

レンタル掲示板
/508